前回の吉田茂元首相の国葬は1967年10月31日だったそうだ。 高校生だった自分は半ドンになり友達と喜んで帰宅した覚えがうっすらある。
 ど田舎の学校で日教組も強く、教師は反対したようだが、それでも半旗にしたりサイレンが鳴ったりしていた。
 家に帰ると、元首相の遺産がたしか1億円程度?と知った母親が、「思ったより少なかったわね、井戸塀政治家だったのね」とその清貧さに感心していた記憶がある。
 後年読んだ「小説吉田学校」によると、サンフランシスコ講和条約、安保条約を締結し、戦後日本の国際社会への復帰を成し遂げた功績は、確かに国葬に値する人物だったと思う。
 ただ、戦後最長を誇った佐藤栄作内閣が、師匠であり、造船疑獄の指揮権発動で塀の中へ落ちるのを救ってくれた恩人でもある吉田を国葬にしたことで、余計な物議をかもしたのはやむをえない。
 さて、今回は、この佐藤内閣を越える在任期間最長を達成した安倍元首相の国葬であり、長さだけはずば抜けているのだが、その実績はと問うと、あまりピンとこないのだが、後年きっと明らかになることだろう。
 ちなみに自分は国葬には賛成だ、なぜなら政治の節目としてこの日を覚えておきたいからだ。 できたら学校も半ドンにして欲しい、子供達がこの日を覚えておくように。
 1967年、東京オリンピックが終わり3年、「池田勇人の所得倍増計画」が実を結び、実際に国民がますます豊かになった「イザナギ景気」真っ只中の高度成長期。
 2022年、一年遅れの東京オリンピックが終った翌年、その招致に尽力した安倍元首相が暗殺されたこの年、「新型コロナ」「ロシアのウクライナ進攻」、日本だけではなく世界中が嵐を経験したこの数年、後日、日本の転換点になった年だったと気づくことになるのかも。
 自分にはもうその機会はないだろうが、将来、今の子供たちが大人になってまたも国葬を体験することになったとき、この2022年の国葬を思い出し、今の時代の方が幸せだと思える日本でありますように。
 ちなみに今から113年前、伊藤博文元首相がハルビン駅にて「安重根」により暗殺された。 ちなみにこの人物は韓国では英雄らしい。  もしかしたら今回の暗殺事件もそれに匹敵する歴史的な出来事なのかもしれない。
 同じ朝鮮人がらみの元首相暗殺事件であるが、今回は暗殺のし易さからターゲットを、本来恨みをいだいていた朝鮮人団体から、その支援者のように見えた自国の元首相に変更した日本人青年による犯行であり、かなり屈曲した状況に思える。
 非常に残念なのは、この青年がこのような状態に追い詰められ、結果的に事件を起こすまで、朝鮮人団体の行ってきた所業が表に出なかったこと。
 知る人ぞ知る事態だったのだろうが、自分の中では「霊感商法」の言葉はとっくに死語になっていた。 まさかこのような事がいまだに繰り返されていたとは。
 少なくともこの団体と関係の深かった「自民党」はこの件で「総括」を行う必要がある。  当然関係の深かった弁解だらけの党役員や閣僚は直ちに辞任すべきだ。 単に団体と縁を切ると言えば済む話ではない。
 自分の行動と結果に責任を持つこと、それが最低限必要な政治家としての資質だ。
 勿論、総裁、首相には任命したことに責任があるだろうが、ふさわしくない人物の首を速やかに、すげ変えるのも任命者としての責務だろう。
 「朝令暮改内閣」「お公家さん内閣」など色々悪口を言われようが、間違いを正すのに躊躇しないこと。 それが岸田内閣の良い点なのでは。
 また、宗教団体についても信教の自由の名のもとに、どんな布教活動でも許されるのは言語道断、必要に応じた法整備が必要と思うが。
 この件に限らず個人の信教の自由は守られるべきだが、宗教団体における政教分離に違反した行為は厳しく取り締まられるべきだ。 少なくとも政権与党として国家権力を行使するならば、曖昧な政教分離を続けてはならないと思うのだが。